ハム家

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【真面目な話】コミュニケーションとは

 

どうも、はむです。2日ぶりの更新だ。

 

 

 

仕事先で相談された内容がどうも頭から離れなく、ちょっとこのブログでも触れてみたいと思う。

 

今回は結構真面目な話だ。

 

 

「コミュニケーション」についてだ。

 

 

 

 

あなたに聞きたいのだが、「コミュニケーション能力が高い人」ってどんな人だと考えるだろうか。

 

誰とでも前向きに接することができる人

 

明るく元気でポジティブな人

 

話が上手でおもしろい人

 

 

色々な意見が出てくると思う。そのどれもが、「コミュニケーション能力が高い人」と言ってよいだろう。

 

よく就活とかアルバイトとかで目にする募集要項の中に、コミュニケーション能力がある人、とかいう条件あるよな。あれちょっと不思議に思うのだが、まぁ雇う側からしたら受け答えがちゃんとできる人を雇いたいということなのだろう。

 

 

ただ疑問に思うことは、はたしてコミュニケーション能力とはなんなのかということ。上で例に上げたような人たちを企業側は雇いたいのだろうが、彼らは本当にコミュニケーションの定義を理解してあのような募集を出しているのだろうか?

 

 

私が思うに、上述したような明るくて、ポジティブ、口が上手い、そのような人間なんて数少ないのではないかと思う。そしてそれらだけがコミュニケーション能力ではないと思うのだ。

 

人の意思疎通の主な手段は会話である。だからもちろん会話術に長けている人っていうのは魅力的だし、周りからの評判もいいのかもしれない。けれども自分から話すことだけがコミュニケーションではない。相手の話をよく聞くことができるのも立派なコミュニケーション能力だと思うのだ。

会話の場面だけではない。ネットやメールのやりとりだって1つのコミュニケーションだ。実際の会話は苦手でも、パソコンやスマホを使ったやりとりは得意な人だっているだろうし、私はそのようなコミュニケーション能力も重要なものだと思っている。

 

私は会話が苦手だ。ここでの苦手というのはhateという意味ではなく、weakという意味だ。昔から、自分で思っていることを即座に言葉にすることに難があり、言葉が詰まってしまうという弱点がある。会話という場面だけでなく、小論文などの試験中でも、頭の中で文章を構成させるということが苦手なのだ。

詳しく検査をすれば何かしらの障がいをもっていたのかもしれないな。主に学習障害かな。

 

それでも私は今こうしてブログを書いている。時間制限がなく自由に文章が書ける場面では苦なく文字が書けるのだ。だから自分なりの表現がちゃんとできていると思っているし、自分自身1つのコミュニケーション能力を持っていると思っている。

 

 

 

なぜ、私がここまで「コミュニケーション」について語っているかというと、冒頭に話をしたように、相談された内容が引っかかっているからだ。

 

プライバシー保護のために詳細は控え、一部変更点とかあるがこういった内容だ。

 

私の息子は生まれつき発達障害を持っており、友達との交遊に難があります。自分から積極的に友達に話かけることができず、孤立しがちです。本人もそのことを気にしてしまい自己嫌悪状態になっています。今は小学校の担任教師の理解もありなんとかなっていますが、この先ちゃんとやっていけるのでしょうか。

 

 

という、小学5年生の子どもをもつ親御さんからの相談だ。

 

なんでも自閉症スペクトラムと診断され、以来療育プログラムに参加しながら普通の教室での授業も受けているようなのだ。(本来、特別支援教室での授業がなされることが多いのだが、色々な状態をみて、この子の場合一般教室で授業を受けているらしい。)

 

 

親御さんが懸念していたのは、子どもがこの先ずっと誰かと仲良くなれないんじゃないかということ、そして、コミュニケーションが取れない人間になるのではないかということだった。

 

驚いたことに、「コミュ障」という言葉が小学校や中学校でも使われているらしい。その言葉を使って孤立する子をイジメるらしいのだ。だから相談をしてきた親御さんもその子がイジメられることを心配していた。

 

 

我々がネットで目にするような「コミュ障」という言葉、これは主に会話表現が苦手な人が自分に対して自虐的に言うような意味合いを持っているよな。しかし今やこの言葉がイジメのツールになっているのだ。

 

どうしてこのような言葉が流行ってしまったのかはわからないが、大人たちがネットで作り上げた言葉が子どもたちに悪影響を及ぼしている事態になっているのだ。深刻な問題だぞ。

 

 

「コミュニケーション障害」という診断は実在するのだ(詳しくは「特定不能のコミュニケーション障害」)。DSM-ⅣからDSM-5になってからは自閉症スペクトラムと1まとまりになったが、本来はしかるべき検査と診断があって初めて使われる言葉なのだ。軽々しく自身や相手に使っていいものではない。

昔からダメだろと思っていたが、「コミュ障」という言葉はあまりにも簡単に使われすぎだ。コミュニケーションのことで本当に悩み、日常生活に支障をきたして困っている人への侮辱になりかねない。

 

よくこの言葉を使っている人を目にするが、やめていただきたい。上で話した通り会話だけがコミュニケーションではないのだ。少なくともTwitterで「私コミュ障だから~」とか言っている人はスマホ使ってちゃんとコミュニケーションとれてるだろ。言いたいことはわかるが、本当に障がいを抱える人たちのことを考えて発言してほしい。

 

大げさかもしれないが、私ハムからのお願いだ。

 

 

相談してきた親御さんには、

 

 

お子さんは受け答えはちゃんとできているから、そのことを褒めてあげること。

 

積極的になることを強制させないで、無理なくできることから学んでいきましょう。

 

 

 

このようなことをアドバイスさせてもらった。もちろん、本来はもう少し具体的な内容だった。これからの協力に力を注ぎたい所存だ。

 

 

 

まとめになるが、会話表現だけがコミュニケーションではないということ、そしてその会話によるコミュニケーションに少し苦手意識をもっていたとしても言葉選びには注意してほしいこと、これが今回の内容だ。

 

 

この記事を書き始めたのは3日くらい前なのだが、公開してもよいのかどうかでちょっと迷っていた。普段仕事の話をプライベートでは話さないようにしているのだが、今回は読者の皆さんに伝えたい気持ちが強かった。

 

以後このような真面目な話がまた出てきて重い内容になるかもしれないが、目にしていただければ幸いだ。

 

ではまたな。